ハノーファー万博 2000年
  はじめに テーマパーク 会場計画
  企業参加方式 ツーリズム計画と入場券 組織と人事
  交通輸送計画 カルチャー&イヴェント 参加国
  ワールドワイドプロジェクト 万国博覧会の歴史 ハノーファー
       
       
はじめに (GT 1997/1月号)
 
1990年6月4日、ニーダーザクセン州の州都ハノーファーはトロント市との接戦の上、国際博覧会事務局(BIE)から、西暦2000年の一般博覧会開催地として正式に認定された。EXPO行事はセヴィリャで1992年に開催された前回の博覧会から実に8年ぶりの開催となる。

ハノーファー万博EXPO 2000 Hannoverは2000年の6月1日から10月31日までの153日間開催する予定で、約2兆8000億マルクの予算を投資して現在の見本市会場を含む160ヘクタールの会場敷地を利用、約150カ国の参加と約4000万人の訪問者を見込んでいる。ドイツのGNPが3兆4600億マルク(1995年)、総人口8130万人と比較すると、万博の規模の大きさが想像できよう。

国内におけるハノーファー万博の認知度はまだ低く、また多くの批判の声もある中で、ハノーファー万博公社EXPO 2000 Hannover GmbHを中心として、産業界の代表で構成されている監査役員会 Aufsichtsrat、政府代表 Generalkommisariat、ハノーファー商工会議所を初めとしたハノーファーの企業中心に構成されているドイツ企業連合 Deutsche Beteiligungsgesellschaft 等各団体が協力して、国家行事であるハノーファー万博を成功させるべくさまざまな準備、努力が行われている。

万博には約150年の歴史がある。19世紀の万博はどちらかといえば現在の見本市的な役割をもっていたが、20世紀に入り各国で各分野の産業技術を展示する見本市が発達して、改めて万博の意義が問われることとなった。

そしてハノーファー万博では今までの万博の反省を踏まえて、21世紀の新しい万博のあり方を示すことが期待されている。たとえば商業主義に傾くのを避けるため、従来の万博で幅をきかせていた企業パビリ オンは原則として建設しないこととなった。

また、国や企業の境を越えたテーマごとの展示「テーマパークエリア」や、万博の敷地の半分以上は現存の見本市会場を利用し、万博終了後の利用も考慮していること、開催期間の開催地に限らず、世界的規模で On Going の博覧会をめざすための国内外協力プロジェクトなど、さまざまな新しい試みが見られる。

「地球規模での生活、世界発展に新たな方向を見出す」という地球的主題を基本理念とし、THINK GLOBAL,ACT LOCALをモットーに、国際的な視点からハノーファー 万博のテーマである「人、自然、技術」に沿った分野 にスポットを当てていく。

世界的な気候の変化、人口過剰、飢餓、エネルギー、環境汚染等、われわれの前には解決されなければならない問題が山積みとなっているが、これらの問題について 即刻解答を見つけるのは無理としても、 各国の知恵を集めてその糸口を探り、世界に向けて発信しようというのがハノーファー万博の目的である。

21世紀の始まりである2000年は、特にドイツにとって意味の深い年となる。ドイツ連邦共和国建国50年、東西ドイツ統一10年が重なるからだ。この絶妙のタイミングにドイツは地球規模の提案を試みようとしている。ドイツがヨーロッパだけでなく世界に向かってその存在力を示す最良の 機会となるに違いない。

しかし、大阪万博を初めとして、つくばの科学万博や大阪の国際花と緑の博覧会 など博覧会慣れしている日本人に比べて、ドイツ人は博覧会そのものに馴染みがないのも事実だ。また、スペインでのセヴィリャ万博での盛り上がりに比べ、ドイツでは批判的でネガティブな見方が先行しているようにも 思える。このようなドイツ人の従来の殻を自身で破ることができるかどうかも、 ハノーファー万博の成功に大きな影響を与えることだろう。