ハノーファー万博 2000年
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万国博覧会の歴史 (GT 1997/11月号)
 
ドイツで初めて行われる万国博覧会にも、実は長い歴史がある。博覧会の起源は中世のヨーロッパまでさかのぼると言われている。たとえば、フランスのルイ11世がロンドンで行った物産展示会や、ルイ14世が催したフランスアカデミー展覧会などは、フランスの豊かさを示し、技術や美術を一般にも公開することを目的とした初期の博覧会的イヴェントと言えよう。

近代の最初の博覧会とみなされているのが、1756年のイギリス産業博覧会である。技術および美術の分野の優秀なものを一同に集めて展示するというアイデアから、この博覧会が開かれた。その後地域から国へ、そして国境を越えて国際的に博覧会を開催する傾向に伴い、万国博覧会が出現する。第1回目は、その 頃産業革命が最も進んでいたイギリスで1851年に行われた「ロンドン万国博覧会」である。144日の会期中に604万人の入場者を集めたこのイヴェントは、予想以上の人気と注目を集めた。以来、万博は近代の産業社会の大規模で重要なイヴェントとしてとらえられ、産業技術を発展させ、社会をリードしてきた。

20世紀に入り、技術のみでなくデザインや空間の創造性などにおいても、万博は重要な役割を果たすようになる。会場で発表されて世界中で評判となった技術や製品、展示方法の推移からも変化が感じ取れる。次にいくつかの例を挙げて みよう。

19世紀には、ニューヨーク万博で安全装置つきエレベーター(1853年)、ロンドン万博でミシン(1862年)、ウイーン万博で電気モーター(1873年)、パリ万博でエッフェル塔にみる鉄骨タワー建設技術(1889年)等が発表され、その時代の最新技術が度々注目を浴びた。20世紀に入ると、シカゴ万博で「進歩の1世紀」と題する、万博初めてのテーマ館が誕生(1933年)、ブリュッセル万博でのアトミウム・原子核モデルを建築化したテーマ館(1958年)、ニューヨーク万博でのマルチスクリーン/ライド式エンターテイメント(1964年)、大阪万博での巨大モニュメント「太陽の塔」(1970年)、セヴィリャ万博での会場全体の緑化計画(1992年)等、技術だけでなく、デザインや創造性、テーマの提唱などが万博の話題となるケースが増えてきている。

このような経緯を経て、多くの国々が万博に関心を持ち、参加するようになっていったが、中でも万博の発展に貢献したのはフランスであろう。フランス政府はすでに初期の段階で万博を政府主催の産業上重要なイヴェントとして捉え、幅広い参加を呼びかけて、会場で最先端の技術やシステムを紹介する基盤をつく った。パリではすでに5回の万博が開催され、またここには各国の代表から構成さ れる国際博覧会事務局BIEが1928年に設置された。BIEは参加各国の利害対立や博覧会の乱立を避け、条約を管理し、国際博覧会の承認と指導を行っている。たとえば、2000年のハノーファー万博(万国博覧会Aクラス)や1998年のリスボン博(国際博覧会Bクラス)も、BIEの正式な承認を得て、その指導 のもとに準備が進められている。

なぜ万博は世界中で重要視され、長い歴史を築き上げることができたのだろうか。大きな理由のひとつが、博覧会が開催されることによってもたらせれるさまざまな効果だと言えよう。まず第1に挙げられるのが、経済効果。直接的なインフラや建設投資などによる効果に加え、会場となった地域開発とそのイメージアップによる開催後の間接的な効果も少なくはない。 また、教育・啓蒙効果も忘れてはならない。一般の人々がさまざまな技術や文化を直接体験することによる影響は大きい。そして交流効果。日常ではなかなか体験できない外国の製品やイヴェント、そして人々との触れ合いは、世界中の友好と平和に貢献している。

芸術を展示し、技術を紹介し、またさまざまなアトラクションにより非日常的な体験のチャンスを与えるというアイデアの影響は、万博だけに止まらない。最大のスポーツイヴェントであるオリンピックや、世界中の子供たちがあこがれるディズニーラ ンド、および各国の産業見本市やコンヴェンションなどは、万博にヒントを得たと言われている。

日本は1873年(明治6年)に始めてウイーン博に参加し、その重要性をとらえた政府は4年後に国内で博覧会を開催している。

1970年大阪での万博、1975年沖縄での海洋博、1985年のつくば科学博覧会、1990年の大阪花と緑の博覧会と、計4回のBIE認定の博覧会が日本で開催された。特に日本初の大阪万博は6400万人以上(全人口の約60%)ものヴィジターを集め、社会的にも大きな影響を与えた。それ以降日本では国際博覧会だけでなく、地方行政府が中心となってたくさんの地方博覧会が催されるようになった。今後予定されている博覧会の中で最大のものがハノーファー万博のコンセプトを継承して開催される2005年の愛知万博である。テーマは「新しい地球 創造 自然の叡智」で、愛知県瀬戸市で3月25日から9月25日まで開かれる。

時代の姿や背景を象徴的に表すと言われる万国博覧会は、時代と共に容貌を変化させてきたが、今また転換期を迎えている。通信・情報技術の発達により、産業技術の情報交換や展示が博覧会なしでも可能になり、また産業見本市をはじめとしたさまざまなイヴェントが世界各地で催されるようになり、19世紀には中心的、20世紀に入ってもなお重要であった万博の機能と役割が失われてしまった。これに伴い、人々は<これからの万国博覧会はどうあるべきか>を模索しており「モノ」展示から未来/近未来の人類文明の提示、および自然と共存した精神的に「より豊かな生活」の内容を問いかけることを目的とする傾向が出てきている。

万博の意義が根底から問われている今、「新しい万博」をつくっていくことができるかどうかは、この次のハノーファー万博および愛知万博に多分に影響を与えるであろう。